人の感情が動く速さとYouTubeのスピード感がちぐはぐだと感じるのですが
YouTube、Spotify、アップルミュージック、iTunesがあれば最高なのか
前回の記事でYouTubeやゲームなどを子ども達に使わせることについて
「使わせないのがベスト」
ということをお伝えしました。
子ども達を
どんなタイミングで
どのように
これらのコンテンツと関わらせるのか
それは
各家庭で考えるとして
それはそれとして…
ネット中毒になることだけがマイナスポイントなのでしょうか
急激に発展してきたデジタルコンテンツ。
「ネット中毒」とかいう
恐ろしい言葉もあります。
便利で簡単
やめられない止まらない
ついつい何時間も見続けてしまう
デジタルコンテンツに対するマイナス面は
大体こういうことのようですが
私はそれとは違うものを
少し感じています。
デジタルコンテンツは多岐にわたりますが
「音楽」を聴くということに絞ってのお話です。
YouTubeってすばらしい…だけなのか
Spotify、アップルミュージック、YouTubeミュージックなど
音楽を聴くのにサブスクリプションを使う事が珍しくなくなり
音楽をとりまく環境は近年大きく変わってきています。
1970年生まれの私が
小学生の頃
音楽番組が毎日のように放映されていて
家族で日常的に楽しんでいました。
バラエディー番組にも必ず歌のコーナーがあり
流行の歌は家族全員歌えましたし
気に入った曲はレコードを買ってもらって
「擦り切れるまで」何度も聴きました。
カセットプレーヤーは一応ありましたけれども
テレビなどから流れる音楽を
直接拾って録音していたので
雑音満載。
録音していたら
「ごはんできたよ~」
という母の声がもれなく録音されるという
昭和あるある…。
つまり
音楽というのは
「生の音楽を聴きに自ら出向く」
「レコードを買ってアルバムをひとつの作品として楽しむ」
「媒体を通して聴く」
という方法が主流でした。
「みんなで聴く」
ものだったということ。
「アルバムをひとつの作品として」
というのは、どういうことかというと
第一に
レコードは一応、曲の頭出しが出来るのですが
面倒だということ
次に
油断していると簡単に傷がつくので
リスクがあったということ。
少ないお小遣いをはたいて買った
貴重なレコードを傷つけるわけにはいきません。
だから
そのリスクはとらないで
お気に入りの曲がでてくるまで
最初からおとなしく聴いていたのです。
あと、
せっかく買ったレコードをなるべく
長い時間楽しみたい気持ちもありました。
最後が近づいてくると
「もうすぐ終わってしまう…」
「もっと続きがあればいいのに」
という残念な気持ちかな。
面白い小説とか映画も
最後が近づいてくると
同じ気持ちになりませんか?
音楽は家族や友人だけでなく
世の中みんなで共有しているという
「音楽=時代」
という時代です。
そんな雰囲気が少し変わったのは
「ラジカセ」+「ポータブルプレーヤー」の登場だと思います。
ラジカセってそれ以前にもあったのですが
よりコンパクトになってデザインも可愛くなったので
大衆化したのでしょう。
我が家でも一人1台持ってました。
これによって
音楽の聴き方が大きく変化しました。
それまで音楽は自宅のリビングに座ってステレオで楽しむか
コンサートに出かけるかだったものが
好きな曲だけをカセットテープに録音し、
(録音はリビングの大きなレコードプレーヤーを使うのですけどね。)
自室や外出先で楽しめるようになりました。
複数の曲を組み合わせて一つのテープに録音し、
自分の好きなプレイリストを作ることが出来るようになりました
アルバム全体がひとつの商品だった時代からすると
購入者の自由度は大きくなった半面
アルバム全体通してストーリーとして楽しむというよりは
少し細切れに
より好みを濃縮して楽しむことが
出来るようになった感じです。
中高生のころ、
気に入った音楽を手に入れるために
膨大な時間を費やしていました。
それは
「エアチェック」です
エアチェックというのは
ラジオからカセットに気に入った曲を
録音する作業なのですけど
手順としては
ラジオ雑誌の番組表を熟読
雑誌にはいつ、
どの番組で
何の曲が流れる
という予定が細かく掲載されています。
(曲の尺も書いてあります。)
毎号優等生の参考書のようにラインだらけになっていました。
↓
時間になったら録音スイッチを押す
食事中だろうが何だろうが命がけでスイッチを押しにいく
↓
録音が終わったら不要な部分がなるべく入らないようにして
編集用のカセットにダビング(コピー)する
このダビング作業で便利なのが雑誌にのっていた曲の尺です
カセットテープは録音できる時間が
46分60分とか90分と決まっているので
なるべくその中に上手く収まるように曲順を考えます。
↓
ダビングを終えたカセットテープに
曲名を記入し、
可愛いレタリングシールを貼って完成。
で、
エアチェックして気に入った曲は
レンタルレコードショップで借りてきて
アルバムをフルで録音。
聴き続けた結果、
やっぱり欲しくなってアルバムを買ってしまう
又は
コンサートに足を運んでしまう
ということになるのですが。
この時代、私にとっての音楽は
「愛着」
「執着」
といって良いかもしれません。
ハードがレコードからCDに移ったのが
15~16歳だったと思います。
ハードの物理的な大きさに反比例して
この
「愛着」
「執着」
という感情は小さくなってきた気はしますが
(持ち運びが楽になったし
曲の頭出しも簡単に出来るし
音はクリアだし
良い事しかないはずなのに
不思議なのですが。)
そういう変化はあったものの
このころの音楽は私にとって
「頑張って手に入れた宝物」
「何度も何度もくりかえし聴くもの」
「愛着の塊」
でした。
私の音楽ライブラリーは
「気に入って買った大好きなアルバム」
「アーチストの意思を無視して作ったマイベストのカセットテープ」
それから
「流行だから聴いておくためのカセットテープ」
という3種類で構成されていました。
1990年代に入り
大学生のころ
音楽専攻ということで
「聴かなければいけない」音楽が増えました
趣味の音楽と並行して
勉強としての音楽
文字通り音楽漬けの日々です。
相変わらずCDを買う、借りるなどしてそれを
カセットテープに落としこみ
聴き続けるの日々。
大学の音楽学部の図書室には
大量のCDがあり、
授業で使うための録音は許可されていたので
非常に助かっていました。
CDもよく購入して
ポータブルCDプレーヤーも何台も使いつぶしていた覚えがあります。
けれどもまだまだ
聴きたい音楽を手にいれるのは
手間暇かかる時代です。
その後、iPodが登場して
録音、編集作業が随分楽になりましたが
構造は変わっていませんね。
2000年代
大きな変化がありました
YouTubeの登場です。
(サブスクはもう少し後です。)
Youtubeの登場によって
歴史上はじめて
楽譜、レコード、CDといったハードではなく
「音楽」そのものが商品になったのではないかな。
聴きたい曲名を検索すれば
すぐ聴ける
という夢のような時代突入です。
中高生時代から膨大な時間を
音楽に捧げてきた私にとって
「信じられん!何だこれは!」
どれだけ感動したことか。
夢中で色々な音楽を検索して
聴きまくりました。
幸せでした
ところが
音楽への
「愛着」
「執着」
は便利さに反比例して
あきらかに減りました。
年齢的なことは差し引いて考えても
これはもう明らかに。
好きな曲だけでなく
知らないジャンルやアーチストの曲に出会うこともできるし
楽しいし楽だし
最高なはずなのに。
「好きな曲を手に入れる」
という情熱(執念)に身をまかせ
日々格闘していた時間が嘘みたいに
気持ちが穏やかなのです。
古き良き時代なんて言うつもりは全然ありません。
戻れるかと聞かれたら戻れませんと答えます。
今の方がいいに決まってます。
でも
音楽を手に入れることに対する利便性が増したことによって
本当に全てがいいことづくしなのか
利便性の代償として
私が手放してしまったものは
何なのか
もしかしたら
人の感情が対応できる情報量というのは
あまり多くなくて
簡単に多くの情報に触れられることによって
感情移入が追い付いていないのかもしれません。
感情は昭和のゆっくりした時間のままなのに
回りの時間だけが10倍速くらいになっていて
追い付けない
だから
ひとつのことへの感情が薄くなってしまった
そんなことかもしれません。
こういう違和感は多分
YouTubeが当たり前に存在した世代の人は
持たないんだと思います。
最初から感情も10倍速対応に出来ているんでしょう。
時代の移り変わりってつまりこういうことなのかな。
YouTubeなどについて
楽曲の変化についても
考えるところが色々あって
また次回につづきます。
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