「タイパ」を追いもとめて生まれた「ゆとりの時間」の中で追い求める「タイパ」?
音楽のサビ部分をコレクションすることは「タイパ」最高なのでしょうかね。
前回記事では、
デジタルコンテンツの普及によって人と音楽との関わり方変わってきたことなど書きました。
便利で簡単なのは大歓迎なのですけど、いいことばかりじゃないのかもしれません。
いきなり本題に入る音楽
最近のポップス音楽は
イントロが短い
楽曲が短い
サビがすぐ出てくる(というかサビから始まる)
テンポが速い
音の数が多い
言葉も多い(早口)
という傾向にあります。
※「ポップス音楽」と便宜上書きましたが、
これはレッスンに来る子ども達がよく聴いているJポップ、Kポップのことでクラシック音楽と対比する意味です。
音楽はいつも時代とともに変化していますので
こういう傾向は作り手が時代の要求に応えた結果なのでしょう。
Z世代は忙しい
いわゆるZ世代の子ども達は
「忙しい」と思いませんか?
彼らは大量の情報を日々さばきながら生活しています。
日々目にする情報量はすさまじく、
それを瞬時に「要、不要」にふりわけ、
保存、共有、時には情報発信する。
必要な作業をしながら
並行して
出来るだけ楽しいコンテンツを眺める。
それらを保存、共有しつつ、
常に送られてくる情報に反応する。
大変有能です。
私の考える「マルチタスク」と彼らの「マルチタスク」
「マルチ」の桁が違います。
見逃し配信も、オンデマンドの講義も見るのは2倍速
2倍速での視聴に慣れると
リアルでの講義がスローモーションに見えるそう。
まるで
ボールが止まってみえるメジャーリーガーのよう。
本当に優秀です。
Z世代の彼らが重視するのが
「コスパ」や「タイパ」
どうすれば24時間という限られた一日の中に
キッチリ無駄なくタスクを配置できるのかを考えながら生活しているように見えます。
「スキマ時間」
て何なのでしょう。
「空き時間」ではなく「スキマ」ですからね…
恐ろしいです。
毎日大量に発信される情報を
秒単位での取捨選択をしなければ、情報に溺れてしまうのでしょうか。
そういえばよく
「秒で」何かをするという言葉を使いますね。
そのうちコンマ何秒で何か出来るようになるのかな。
彼らを見ていると
「物事を考える」という行為が
「試行錯誤」ではなく「取捨選択」に見える時があります。
「タイパ」こそ正義という時代感覚の結果が
イントロが短い
楽曲が短い
サビがすぐ出てくる(というかサビから始まる)
テンポが速い
音の数が多い
言葉も多い(早口)
という特徴を持つ音楽です。
「夜にかける」
「白日」
「紅蓮華」
「新時代」
全てイントロがなくて
歌手が息を吸う音(?)で始まります。
ながーいイントロなんか聴いてたら
「こんなことしてる場合じゃない」
「時間がもったいない」
とか思うのかしら。
それすら思わないで
もう次の音楽を聴いているのかな。
クラシック音楽はこの時代とは相性の悪い音楽
なぜならクラシック音楽は長いですから。
クラシック音楽といっても幅は広くて
気楽に聴ける素敵な小品もたくさんありますけれども
「交響曲」
「協奏曲」
「ソナタ」
といったガチクラシック音楽は
一番の特徴が
長い
ということ。
例えば
大変人気のある
ベートーベン作曲
「交響曲第九番」
の演奏時間は大体1時間。
(よく知られる合唱部分は最後の方の一部分だけです)
トルコ行進曲で有名な
モーツァルト作曲
「ソナタK331番」
の演奏時間は30分弱。
ワーグナー作曲
オペラ(楽劇)「ニュルンベルクの指輪」
の総演奏時間は15時間に及びます。
「タイパ」とか言ってる人、気絶します。
なぜクラシック音楽はそんなに長いのか
それは
ポップスが携帯小説だとしたら
クラシックは文豪による長編小説だからです。
携帯小説は
短期間で
感情やストーリーを伝えるのが目的。
そのため
気軽に誰もが楽しめるように
平易な言葉で書いてあるし
誰もが理解しやすいテーマを扱っています。
空いた時間にサッと読んで
心が少し軽くなったり
温かい気持ちになったり
非日常を味わったりできます。
一方
ガチクラシック音楽は
長大で複雑な構造をしていて
深い洞察を探求するのが目的。
ひとつのテーマについて
起承転結をつけながら徹底的に論じます。
完璧で複雑な構造は絶対で
その構造の中、
あらゆる角度から
テーマについての論を発展させていきます。
「起承転転転転…結」
といった感じ。
テーマが優れていることは
もちろん重要ですが
テーマをどれだけ展開させることができるか
誰も思いつかなかった斬新な視点をもって展開出来るか
の勝負ということ。
長い音楽を作るのが目的なのではなくて
言いたいことを
丁寧にぬかりなく、きちんと伝えようとすると
必然的に長くなるのです。
私はクラシック音楽が好きですけれども
ポップス音楽も大好きです。
けれども、
ポップス音楽をずっと聴いていると
物足りなさを感じてきます。
それは多分
ポップス音楽はアイディア勝負のところがあるからでしょう。
慣れるまではそのアイディアが新鮮で
楽しいと感じるのですが
アイディアを発表したらそれで終わり。
その後の展開があまりなくサラッと終わってしまうので飽きるのだと思います。
(あくまで私の個人的感想ですよ)
本来音楽を楽しむのはタイパとは真逆の行為
私たちはどんどん早く目まぐるしくなる世の中で
一生懸命生きています。
そして
仕事でも勉強でも効率よく成果をあげることを求められてます。
「時短テクニック」
はもう辞書にのっている言葉なのでしょうか。
頑張って家事を時短で済ませるのは
空いた時間に楽しいことをするためですよね。
私ならそうします。
「息抜き」です。
リラックスして没頭できる時間を楽しむことによって
明日また頑張る英気を養うのが
「息抜き」
です。
だから本来その時間はタイパは関係なく
効率が悪くても生産性がなくても
時間を忘れて楽しんで良いはず。
音楽を「効率よく楽しむ」って矛盾がある気がします。
別にダメなわけではないですけど
違和感を感じるのです。
Youtubeよりさらに短い動画が流行っていますけれども
あれは
携帯小説というより
もはや
スポーツ紙の「見出し」
ですね。
あれは音楽なのかな…。
ダンスをするために必要な「何か」ですね。
今後ポップス音楽がどう変化していくのか分かりません。
音楽はいつも時代とともに変わってきたものですから
その変化は楽しんで見守りましょう。
ただ、
ふと誰かが疑問をもって
立ち止まって
「急いで消費する娯楽」
ではない何かを探したときに
クラシック音楽を見つけてくれたら嬉しいなと思います。
YOASOBIも髭男もいいけど
ワーグナーやマーラーを聴く機会があればいいのにな…と。
人が人らしい部分は想像力や創造性
「時間を忘れて音楽を聴く」
「時間を忘れて何かに没頭する」
そういう時間を過ごすことが
人間の想像力や創造性を育む気がします。
子どもの頃に過ごした
そういう時間の蓄積が
人としての器を作るのだと思うのです。
大人が子供にしなければいけないのは
子ども達に余白の時間を与えることかもしれません。
「効率的ではない、生産性がない、」
「タイパ最悪なこと」
って素敵なことだとおもうのですけど。
どうでしょうか。
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