「日本人にはリズムのセンスがない」というのは誰が言い出したデマなのでしょう
リズムは言葉とともに
以前書いた記事「数の理解を進める手順」で
少し触れたのですが
リズムを理解するために
言葉をあてはめるのは
常套手段です。
「リズム」というと
タンタンと手を打つ練習を
思い浮かべるかもしれません
でも実は
リズムは本来
特別に練習するものではありません。
それは
毎日話している言葉がすでに
複雑なリズムを使っているからです
言葉のもつリズム
外国語のリスニングは
その言葉の持つ特有のリズムに慣れることが
上達のコツですし、
むしろ
外国語の習得には
発音よりリズムを重視したほうが
早いかもしれません。
昔タレントのタモリさんが
4か国語麻雀をするネタがあったの
ご存じの方いらしゃるかしら?
(昭和の記憶ですみません!)
タモリさんは実際にその言語を話せるわけではありませんが
それっぽく
中国語やイタリア語、ロシア語など
物まねをするというネタだったと思います。
多分リズム感がとっても良い方なのでしょう。
日本人のリズム感
西洋の音楽を基準にすると
東洋人のリズム感は残念な評価のようです。
一方
アフリカをルーツにもつ人たちのリズム感は
最高評価ですよね
それは多分
アフリカの音楽はリズムから始まり
そのままリズムを中心に展開していったからでしょう。
メロディーやハーモニーに興味があまり
向かなかったというか…
だからリズム感が良いのか
リズム感が良いから
リズム以外に興味がいかなかったのか…
どちらかは分かりませんけど
そういうことかな。
だからといって
日本人のリズムに対する感覚が鈍いとは
私は思いません。
「57577」
で表現した美しいリズムや
「337拍子」
も誰もが知っている
心地よいリズムですね。
ちなみに
337拍子は
3拍子ではなくて
4拍子ですよ
タンタンタン(ウン)
1 2 3 ( 4)
タンタンタン(ウン)
1 2 3 ( 4)
タンタンタンタン
1 2 3 4
タンタンタン(ウン)
1 2 3 ( 4)
例えば
ちょうちょ(うん)
ちょうちょ(うん)
なのはに
とまれ(うん)
さいた(うん)
さいた(うん)
ちゅーりっぷの
はなが(うん)
「ちょうちょ」も「チューリップ」も
337拍子と同じリズムです。
勇ましい感じがするかしら?
これはあくまで例えですけど
リズムに言葉をのせると分かりやすいということです。
日本語のリズム 大阪弁のリズム
日本の文学を読んでいると
内容ではなく、文章のリズムに感動することが
あります。
樋口一葉の「たけくらべ」冒頭部の文章が大好きです。
谷崎潤一郎の文章も大好きです。
芦屋も登場する文学「細雪」の登場人物が話す言葉は
美しいリズムだと思います。
「細雪」の登場人物たちは船場言葉を使っていて
その音が柔らかくて素敵です。
私は母が船場の商家の出身なので
祖父母は日常的に船場言葉を普段使っていました
「かんにんな」とか
「おはようおかえり」
とか
「いてさんじます」
とか(意味わかります?)
流れるような、角がなくて美しいリズムを持っていると思います。
船場言葉ではなく
世間で認識されている大阪弁も好きですよ。
「やったりーな」とか
「つこーたってやー」
というリズムが
イタリア語に似ているとかいないとか
以前ご紹介した曲で
「俺の借金なんぼや」
というブルースも
大阪弁が上手く生かされています。
大阪弁とイタリア語
イタリア語って
母音を伸ばす言葉だからでしょうかね
大阪弁に似ているという説を時々耳にします。
日本語は全ての言葉に母音がつくと言われますけれども
実は日本語よりイタリア語の方が
母音が多いんです
そして、大阪弁も
母音が多い言葉です。
例えば
「思います」
標準語の語尾は
「おもいますっ。」[S]
みたいな感じで短く切ります。
でも
大阪弁だと
「おもいますー。」[SU]
語尾の母音をしっかり発音しますよね。
大阪弁は母音を伸ばすので
「目」とか「歯」とか「手」
など、一文字の言葉でも
「めえ」「はあ」「てえ」
といった感じ。
イタリア語の音楽用語も
「フォールテ」
「アレーグロ」
母音を伸ばところが似ています。
音大ではどの専攻の生徒も必ず
声楽の授業が必修科目です。
そして
必ず最初に習うのが
イタリア歌曲です。
歌詞がローマ字だから読めるということも
あるのかもしれませんけど、
イタリア語は文章の最後の母音まで
しっかり発音するので
フレーズの最後までしっかり口を開けて
声をだす発声の学習になるからなんです。
大阪の人が何となく
「声が大きい」
みたいな印象をもたれるのは
この辺のことが関係あるのかも。
歌が苦手な人は
言葉の母音を意識して
口をあけて
母音を意識して歌うと
上手くいきますよ。
とりとめのない言葉とリズムのお話でした。