歌詞が頭に入ってこない人間の主張「音楽をどう聴こうが自由ですよね。」

音楽は「すき」か「きらい」でいい

音楽を言葉で説明することに矛盾を感じたことないですか

歌詞カード

歌の歌詞が頭に入ってこない人間の主張

子ども達のリクエストに応じて

流行りのポップス曲を楽譜におこすこと

かれこれ20年近くなります。

 

おのずと

平成から令和までの曲を

ガッツリ聴き続けています。

 

最近の曲は

言葉の数が多い気がします。

 

歌詞というより「セリフ」。

そんなに伝えたいことが沢山あるなら、

歌わないで話せばいいのに

と思うくらいです。

 

私、昔から歌詞を覚えるのが苦手です。

 

覚える以前に頭に入ってこない。

聞こえてるけど聞いてない。

 

hearなのです。

Listenではない。

 

聞こえるし、日本語なら意味もわかっているのですが…。

頭に入ってこないから歌詞を覚えるのが絶望的に遅い。

 

何度か聞けば

頭のなかで音は鳴らせるし

ピアノで再現もできる。

なのに歌詞はいつまでたっても覚えられない。

 

「ドラえもん」の主題歌が星野源の曲に変わって

しばらくすると

子ども達は

大体歌詞を覚えて歌えるようになっているのに

 

私だけ

「ドドドドドドドドドラえもん」

しか覚えていない。

あとは全部鼻歌。

 

学生時代、

同じバンドの同じ曲が好きな友人に

「あの歌詞が心に刺さるんだよねー」

と言われても

「そんなこと言ってたっけ?」

と歌詞カードを慌てて読む。

 

そんな感じです。

 

歌詞の意味はその曲にとって絶対なのですか

わかってるんです。

歌手は歌詞を音にのせてメッセージを届けているのは。

 

けれども

歌詞を聞いていない私が曲を好きなのは

メッセージが届いたからではないということ。

そういう人間もいるということです。

 

後付けの理屈ですが…

 

音楽は抽象的なもの、

だから意味も制約もなくて自由。

 

そこに具体的な

「言葉」

で蓋をしてしまうのはいかがなものかと。

 

本当は歌詞が入ってこないだけなんですが。

どうしてでしょうね。

わからないです。

 

言葉で直接共感を求められてもなあ…。

自由に聞かせてくださいよと思うのです。

 

コンプレックスに理屈をつけてすみません。

 

音楽をどう聴こうが自由

「歌詞」ではありませんが

言葉による説明で不自由になることが

クラシックではよくあります。

 

スメタナ作曲の交響詩「モルダウ」

「モルダウ」は川の名前です。

曲中に

フルート、クラリネットで

水の流れが描写されている部分があります。

バイオリンのピチカートで

水がピチャっとはねるのも表現されていたと思います。

 

交響詩なので(詞ではない)意味に間違いないし

表現は巧みです。

 

けれども、

だからといってこの曲を聴く全員が

水の流れる情景を浮かべなければいけないのでしょうか。

そんなの大きなお世話ですよね。

 

クラシック音楽には

「説明」がついてまわります。

 

クラシック音楽が好きですか

という質問に

「いやー私はわからなくて」

という答えが返ってくることがあるのは

そこらへんが原因なのでしょうね。

 

時代背景

作曲者の人物やエピソードなど

 

知りたければ知れば良いし

知っていると楽しいのは間違いないです。

 

全く手がかりがないよりは

抽象的すぎるクラシック音楽を楽しむ

きっかけにはなると思います。

 

でもその説明は

「へーそうなんだ」

と聞き流せばよいレベルです。

音楽を聴くのに

絶対不可欠なわけではないです。

 

たまたま曲を聞いた人が、

説明と曲をリンクさせて

曲の内面に触れ感動するなら

それは素敵なことです。

 

けれども、

だからといって他人に同じように

「内面に触れなさい」

と要求するのは違います。

 

音楽は

「音の流れ、響きの美しさを自由に楽しむ」

だけで十分。

 

だから

「ここはこういう意味です」

と定義づける意味はないです。

 

私もこのサイトで散々曲の解説をしているのに

矛盾しますが

でもそう思って書いてます。

 

今後も曲を紹介するための説明はしますが、

「その通り聞かなければいけない」

と思っているわけではありませんので

どうぞ

気楽に読み流してくださいね。

 

音楽の魅力は「抽象的」なところ。

抽象は抽象として

感性で受け止めればよい。

ということです。

 

とはいえ私も歌詞から入った音楽がないわけではないです

憂歌団の「パチンコ」

上田正樹の「俺の借金なんぼや」(動画貼ってますのでよかったらどうぞ)

などは歌詞先行で聴いていました。

 

両方ジャンルはブルースです。

ブルースには大阪弁が合う気がします。

大阪弁特有のリズム感なのか抑揚なのか…

ーリズム感についてこんな記事も書いてますー

日本人にはリズムのセンスがないというのはいかがなものでしょう

 

多分ご想像いただける思いますが

歌詞の内容はしょーもないです。

 

歌詞を書こうかと思いましたが

しょーもなすぎるのでやめました。

 

歌詞が笑えるので

一時期ハマってよく聞いていましたが

ふと気づくと歌詞はやっぱり聞いてなくて

音楽がひたすらかっこいい…。

という結論。

最終的には歌詞はどうでもよくなってました。

 

しょーもない歌詞をエサに結局

完成度の高い音楽を聞かせるという手法ですかね。

でもこの場合逆に

しょーもない歌詞を完成度の高い音楽にのせるかっこよさかな。

 

ビンテージカーに子供のお絵描きのようなペイントをして

普段使いするみたいなかっこよさ。

 

歌詞は音楽の上でしか生きられない

メッセージとして発信された歌詞は、

その音楽にのることで生きているのだから

その歌詞に共感するの素敵なことです。

 

「その歌詞が好き」なのは

「その音楽が好き」ということなのでしょう。

 

でも意味はわからない

説明できないけど

何か好き。

 

そういう風に音楽が好きなのもいいですよね。