東大生の2人に1人はピアノ経験者。勉強の才能とピアノの才能について

東大生の2人に1人がピアノ経験者だそうです

東大

ピアノの脳への影響について

「ピアノを続けていると脳が鍛えられるそうですが。実際どうなのですか?」

というご質問に答えられずにいます。

 

なぜなら私の脳が

鍛えられていない…

という自覚があるから。

 

ですが

今回の面談でも割と話に上がったことなので

後学のために

サッとネットで検索しました。

「ピアノは脳を刺激し、

その機能をまんべんなく向上させます。

思考力を司る前頭前野、

記憶力を司る海馬

これらが刺激されることで

思考力や記憶力が伸びるのです。

 

さらに左右の脳をつなげる脳梁を太くし、

バランスを整えます。」

だそうです。

説明が分かりやすいページがあったので

興味のある方はこちらへどうぞ。

 

それにしても

この「東大生 ピアノ 脳への影響」を

文言を調べると出る

ピアノ教室の数の多さです。

 

2ページ分くらい読みましたが

100%の教室が

このことを論文や学者さんの発言を引用しつつ

力強く推していたことに

驚きました。

 

私と同様

全国のピアノ教室の先生たちも

この質問をうけているのでしょう。

 

ピアノを弾くことが

脳に悪影響を与えるとは思いませんが

それでも

残念な働きっぷりしかしない

私の海馬や前頭前野は

もしピアノを弾いていなかったら

いったいどんな仕上がりになったのかと思うと

恐ろしです。

 

「頭のいい子が育つ習い事」

という本がネタ元らしいです。

それによると

東大生が子供の頃にやっていた習い事ランキング

というのがあって

1位 水泳

2位 ピアノ

3位 英会話

だそう。

 

そしてその本によると

東大生の2人に1人がピアノを習っていた

のは事実でした。

 

ピアノを習うと

・両手を駆使しつつ楽譜を読んだり先読みする

→複雑な作業が脳機能にとても良い

 

・気が向いた時にだけ楽しむのではなく、毎日コツコツと取り組む姿勢必要

→忍耐力、努力が身につく

 

・発表会に出る

→ゴールを設定する計画性、集中力が見につく

 

という内容。

 

ピアノを習っていた東大生の多くが

「ピアノを習っていなければここまで頭が良くならなかった」

と答えたのだとか。

 

これだけ切り取って読むと

「ピアノを習っていたから

東大に入れた」

と言ってるみたいですね。

 

でもこれらは

相関関係があるだけで

因果関係はあまりないと思います

 

もともと高いポテンシャルを持った子供が

ピアノを習ったことにより

さらに能力が上った

ということです。

 

脳科学の研究では

週に1時間でもピアノを弾いてただけで

脳には良い影響があるらしいので

割と手軽なのかも。

 

勉強が出来る子はピアノが上手?

「成績のいい子どもは

レッスンが進むのが早い」

というのは

概ね当たっています。

 

勉強が出来る子どもは

大体

私の説明を理解するのが早く、

練習していることがわかるので

自宅での再現性も高く

次にレッスンに来た時には

同じことを何度も言わずに済みます。

すると早く曲が仕上がります

 

早く進むと次にどんな曲を弾こう

という意欲につながりますし、

結果ピアノのレッスンが楽しいと感じ

上達へとつながるのでしょうね。

 

発表会で

「○○ちゃん、1年生なのにもうこんなに難しい曲弾けるの?

勉強も出来るし何でもできるのね!」

という子どもの出来上がり!

なのでしょう。

 

ピアノが上手ってなんでしょう?

年齢の割に難しい曲が弾けるというのは

ピアノが上手だということでしょうか

 

ある意味そうですね。

 

ただその「上手」

というのは定義があいまいで

「頭がいい」

とか

「バカ」

と同じくらい曖昧な言葉です。

 

だから分かりやすく言うと

「早く進められる能力」

「楽譜を読んで再現する能力」

に長けていることだと思います。

 

つまり

音楽的に優れているのとは

別の話だということ。

 

計算ドリルなら

早くて正確なら

それでオッケーですが

ピアノは

「美しく」

「音楽的に」

弾くことが大切です。

 

けれども

「美しく」

弾けなければ曲が合格しないかというと

そうでもありません。

だって完璧を求めていたら

キリがないですから。

 

だから最後まで楽譜通り再現できたら

後はその子がどこまでのことが出来るか

最後の仕上げには個人差があります。

 

その子自身がどこまでのことを

求めるのかにもよりますし。

 

時間の経過とともに

音楽的な表現がすこしずつ出来るようになるので

曲を仕上げながら

そちらのスキルが上がるのを待つ感じです。

 

つまり

レッスンの進度と音楽的な完成度は

一致するわけではない

ということです。

「うちの子には才能ないのでしょうか」

才能ってどんなものでしょう。

 

ポツリ ポツリ としか

合格がもらえなくて

のんびりマイペースで

レッスンを続けている子が時々だす

「素晴らしい音」

に感動することが時々あります。

 

個人的にはこれを

「才能」

と呼びたいです。

フワッとやわらかい

素敵な音です。

 

けれども

そんなに魅力的な音がだせても

楽譜を早く読む能力

説明を早く理解する能力

がたりなければ

レッスンの進度は遅いし

仕上げる曲数も少ないです。

 

そういう場合は

簡単な曲を大切に

美しく

楽しく

弾けばいいんです。

「もうこんな曲が弾けてすごいね」

というのと同じくらい

又はそれ以上に

「こんなに美しい音が出せてすごいね」

とほめたたえたいです。

 

進度でつける優劣は意味がないです。

 

「才能」は

個々が色んな才能をもっているので

それを大切に扱えば

良いのでは

という結論です。

 

「うちの子には才能ないのでしょうか」

というご質問が適切でない

というのが伝わったでしょうか。

 

「コンクールで優勝する才能はあるでしょうか?」

「ピアノを楽しむ才能はあるでしょうか」

「題名を見て曲をイメージする才能はあるでしょうか」

など

才能に関するご質問は

具体的にお願いいたします。

 

又は

「うちの子にはどんな才能があると思いますか?」

とご質問いただければ

半年以上レッスンした子どもなら

お答え出来ると思いますので

いつでもどうぞ。

 

私の才能は

「子どもたちの人と違う部分が

光り輝いて見える」

ということなのかもしれません。