ショスタコービッチ作曲【手回しオルガン】ピアノ演奏難易度⑥
ピアノ演奏難易度別曲紹介
ショスタコービチ作曲
手回しオルガン
ソビエト連邦の歴史とともに
クラシック音楽ファンからの愛称は「ショスタコ」。
ちょっとかわいいです。
ショスタコーヴィチ(1906-1975)は、ソ連時代のロシアの作曲家です。
ソビエト連邦のはじまりが1922年で終わりが 1991年なので、人生がほぼソ連の歴史と共にあったと言えます。
社会主義のソ連からは多くの芸術家が亡命したなか、ショスタコービッチは共産党員としてソ連内で活躍しました。
有名なのは交響曲で15曲あり、ソ連の歴史を映し出したものだと言われています。
なぜそのように言われるのかというと、この交響曲は表面上ソ連を讃えていると見せかけて、実は痛烈なスターリン批判が込められている…という事実があるとかないとか。
社会主義の圧政のなか、言えなかった思いが音楽に込められているのだとか そうでもないのだとか…。
結局分からないですけどね。
でも想像してしまうのです色々と。
当時のソ連政府が芸術家たちにどんな要求をしたかというと
「社会主義リアリズム」に忠実であれということ。
それはどんなものかというと「簡潔・明瞭・社会主義的」という理念だそう。
20世紀には「現代音楽」というジャンルで難解な音楽を創作が流行していたので、それを阻止するということでしょうか。
ようするにポップス並に大衆にわかりやすく、かつ芸術的で、しかもソビエト社会主義の発展に役立たねばならぬという要求ですね。
太平洋戦争中の日本と似ているのかな。
わかりやすく国威発揚できる曲ということかな。
もし曲がその要求に沿っていないと判断された場合はどうなったのでしょうか…。
多くの芸術家たちが亡命したことから察するしかないです。
ソ連にとどまって作曲活動を続けることを選んだショスタコービッチですが、思い通りにいかないことも多々あったようです。
交響曲の中で最も有名な第五番にまつわるエピソード。
この曲の直前に作曲された曲に対して、「社会主義路線にそぐわない」 と当局から批判がされ、猛省を促され大変な目にあったそうです。
それを受けて、発表予定だった第4番の初演を取りやめ(かなり前衛的だったのです)「これでお気に召しますでしょうか」と言わんばかりにわかりやすい第5番を発表したのです。
その結果当局は大満足。
「そうそう、これこれ!やれば出来るやん!」と言ったのかは知らないですが。
ドラマチックでエンターテイメントの香りのする交響曲に仕上がりました。
『ショスタコービッチの証言』の真相
ショスタコービッチは20世紀の作曲家なので、来歴はきちんと分かっています。
けれども真意どこにあったのかは謎めいているわけです。
「自分が死んだ後に、ソ連国外で発表して欲しい。」と友人に頼んでいた証言集が、死後、1979年にアメリカで出版されています。
『ショスタコービッチの証言』という書籍です。
内容はソ連の時代には言えなかったような内情を明かしているそうです。
読みたいなーと思っているのですが私はまだ、読んでいません。
出版後は大反響だったそう。
それまでの音楽解釈が180度変わっちゃうわけです。
なぜなら時代は冷戦真っ只中。
忠実な共産党員だと思われていた人が、実は心の中ではスターリンに批判的だったとか。
西側の人達は「やっぱりそうか!」と大喜びだったのでしょう。
けれども結局、その証言は嘘だったという疑惑が浮上。
するとまた、そんな疑惑はソ連の陰謀だという説が浮上。
結局なにひとつ結論は出なくて、残ったのは素晴らしい曲たちだけ。
骨太作曲家のやさしいパパという一面
ショスタコービッチはジャズをとり入れた軽い曲や、多くの映画音楽も作っています。
そして、娘や息子のためにもかわいらしい曲を沢山残しています。
社会主義体制の中で、抑圧・批判されながらも音楽家として生き抜くことが出来たのはそんな家族との「普通の生活」が支えだったのでしょうか。
手回しオルガンはオルガンのパイプがついた箱型の楽器です。
必要な操作はクランクを回すことだけ。
あとは自動で演奏してくれるので19世紀ごろには辻音楽師たちがさかんに街角で音楽を奏でていたようです。
この曲の左手はずっと同じ伴奏が続きますが、これは空気を送り込まれたパイプが鳴り響く様子なのでしょう。
石畳を馬車が走る横で陽気に音楽を奏でる姿が想像できます。
作曲者の紹介がばかりになってしまいましたが、ぜひ知っておいていただきたい作曲家のひとりです。
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