親の影響って、何パーセント?――子育ての不安の正体
子育てにつきまとう不安の正体

保護者の皆さんとお話しする中で
「子育てって本当に正解が分からないですよね」
という話題になることがよくあります。
私自身も3人の子どもを育ててきた親として
そして多くの子どもたちと向き合う先生として
子どもを育てるということの楽しさ、尊さ、迷いの深さを日々感じています。
子育てと不安はセット
「この選択で本当にいいのかな」
「あのときの言葉が子どもを傷つけたかもしれない」
そんなふうに考えてしまうこと、ありませんか
受験をさせるのはいつにするのか、中学受験?高校受験?小学校受験?
習い事を嫌がる子に、もう少し頑張らせるか、それともやめさせるか。
どの選択も、その子の将来を左右するような気がして、
何度も同じことをぐるぐる考えてしまう。
ちなみに・・・
もちろん、その手の不安は昔からあるものでしょう
けれど最近は
とても真剣に悩むお母さん・お父さんが以前より増えているように感じます
「褒めて育てましょう」
「自己肯定感を育てましょう」
「否定してはいけません」
「共感してあげましょう」
「嫌がることはさせてはいけません」
「やりたいことは全力で応援しましょう」
「個性を尊重しましょう」などなど
正解とされる情報があふれていて
親のほうが息苦しくなってしまいそう
不安の内訳
不安の正体って何だろうと冷静に考えると
半分は文字通り「子どもの幸せ」「子どもの将来」についての心配
あと半分は「親として間違っていないか」
という責任への不安なのかなと思います
親として私が選んだこの選択は
本当に子どもを幸せにする選択なのか。
私がした助言は、
子どもにとって本当に今必要な助言なのか。
子どもの将来に及ぼす「自分の責任」
という意味での不安なのかもしれません。
親の影響って、思っているより小さいらしい
行動遺伝学という分野の研究によると
親の育て方が子どもに与える影響は、思いのほか小さいのだそうです。
人の性格や能力を作る要因は3つ
- 「遺伝」が40〜50%
- 「非共有環境」(友人関係、学校での体験など)が40〜50%
- 「共有環境(家庭や親の育て方など)」は10〜20%ほど
例えば同じ家庭で育った兄弟でも、まったく違う"環境"を経験しているということ。
友達、先生、偶然の出来事、興味を持ったもの……そういった"その子だけの体験"が、その子を形づくっていくってこと
親が一生懸命考えて与えたことがらより
偶然出会った友人、出来事の方がはるかに影響が大きいのです
こんなに悩んでいるのに、たった10%?
正直な気持ちを言えば、
「こんなに悩んでいるのに、たった10〜20%なの?」
と思いませんか?
少しつまらない気もしますが
同時に、気が楽になる部分もあるかもしれません。
「親がどんなに願っても、思い通りに育つ子どもなんていない」――よく聞く話ですよね。
それ、ほんとその通りな気がします
「こんな風になると思わなかった」
と私が母に言われていますし、
同じことを私が子ども達に言ってますからね
だから、責任をそこまで重く感じすぎなくてもいいのかもしれません。
そしてもうひとつ、忘れてはいけないこと
それは、親が子どもに一方的に影響を与えているわけではないということです。
子どもが親に与える影響も、少なからず――いえ、とても多くあると感じます
子どもの存在が、親の考え方や生き方を変えていくことは確か
子どもの笑顔に救われたり、子どもの言葉にハッとさせられたり、子どもの成長に勇気づけられたり。
子どもと過ごす中で自分の知らない自分の意外な一面に向き合うことになったり
そして喜んだり反省したりしながら親自身も変わっていくということ
子育ては、親が子どもを「育てる」という一方通行ではなく、
互いに影響し合いながら「一緒に育つ」ものなのかもしれません。
それでも、親は選ばなければならない
だからといって、親の選択が不要なのではありません。
受験するのか、やめるのか
習い事を続けるのか、やめるのか
それはいつなのか
「正解」はありません
そのときそのときで子どもをよく見て、
想像力を働かせながら親が最善と思う方を
「えいや!」
と選ぶしかないですね
同じ選択でも、子どもによって結果は違います
「嫌がっても少し頑張らせたら好きになった」
子もいれば、
「無理をして嫌いになった」
子もいる。
結局
「その子を見ながら考える」
しかないのだと思います。
運とか偶然について
「運って、どうやって決まるのだろう」
と考えることがあります。
「こんなところで運を使ってしまった」
と言ったりすることありますけど
科学的には"運の総量"なんて決まっていないと思います
だけど、
良い偶然が次のチャンスを呼ぶことは、確かにある気がします。
同じ出来事でも
「運が良かった」
と思うか
「悪かった」
と思うかで、その後の行動は変わりますしね
幸運って不思議で
能力とか努力とかあまり関係なく訪れることもあります
どちらかというと素直さとか誠実さとの相性が良いもかも
ただし、
運よく手にした幸運を生かすのは努力なのでしょうけど。
少し気楽に、でも誠実に
完璧な親にはなれません
「完璧な親」なんて、そもそも幻想ですよね
どこを探してもあり得ません
形のないものに形を与えようとするようなものです
そしてたとえ完璧な親がいたとしても
その影響力は10〜20%・・・
だから、それほど思い詰めなくても大丈夫なのかもしれません
親に出来ることといえば
「この子に、良い偶然がたくさん訪れますように」
と願いながら、目の前の子どもをよく見て、
そのとき最善だと思う選択ことをしていく
そんなフワッとしたことだけ・・・
選択を間違えないことよりも
「一緒に変化に対応しながら進むこと」かな
だけどみなさん
「悩みながらも最善を尽くそうとする親」
のもとに生まれたということ
――それ自体が、子どもにとっての「運の良さ」なのだと思うのはどうでしょう?
そう思えたら少しだけ、肩の力が抜けるというものではないでしょうか。
そして
「子育てって、いい時間だったな」
ときっと後になって思えるのではないかな
親ではないけれども
身近にいる一人の大人として・・・
生徒たちとも、そんなふうに関わっていけたら嬉しいなと考えています。
子どもたちが良い偶然にたくさん出会い、
たくさん楽しいことがありますように
――そう願いつつ、日々子ども達の影響をうけながら、楽しい時間を過ごせたらいいなと思っています。
















