いう事を聞かないのは「子どもに舐められている」サインかもしれません(最終回)
いう事を聞かないのは「子どもに舐められている」サインかもしれません

原因は“感情”
ではなく“仕組み”
なのかもしれません。
「何度言っても、いう事を聞かない」
「分かっているはずなのに、やらない」
そんなとき、
「もしかして、舐められている?」
と感じたことはありませんか…
というおはなし。
第1回では、
子どもは大人の“言葉”ではなく
大人の一貫性を見ている、という話。
第2回では、
感情で叱るほど、
子どもはルールを見失う、という話。
そして最終回の今回は、
結論。
丁寧に書こうと思ってつい
3回シリーズにしてしまいました。
「舐められている」の正体は、力関係ではありません
子どもがいう事を聞かないとき、
つい考えてしまうのは
「舐められてるな…」
そして
もっと厳しくした方がいいのか
甘やかしすぎたのか
私の言い方が弱いのか
でも実は、
舐められている=軽く見られている
というのではなくて
たぶん
子どもは
「どうしたらいいのか、分からない」
のが本音ではないかと。
そしてこの本音
子ども自身も自覚していない気がします。
そんなに冷静に
自分のことを客観視できる子どもは
めったにいないんじゃないですかね。
信頼関係が出来ていないのに
何をいっても響かないってことです。
「練習しなさい」は、子どもには難しすぎる
「練習しなさい」
「ちゃんとやって」
この言葉で練習するなら
その子は何も言わなくても
練習します。
この言葉には情報が足りません。
理解できる出来ないじゃなくて
大人と子どもでは
見えている景色が違うからです。
大人は、
練習の先にある
上達
出来たときの喜び
音楽を楽しむ未来
を想像できます。
でも子どもに見えているのは、
「今、めんどくさい」
「今、遊びたい」
という近景。
未来が見えない相手に
「練習しなさい」は、
かなり難易度の高い要求です。
子どもが動くのは「仕組み」があるとき
ではどうするのか
たとえば・・・
「ここからここまでを10回弾いたら、
そのあとYouTubeを15分見ていいよ」
最初はこんな感じでよいのかなと。
「え~!ご褒美でつるの?!」
と思いますか?
そうかもしれないですね。
まあ、単純すぎる例えかもしれないけど
子どもが動くために必要な要素って
どこをやるか
どれくらいやるか
終わりはどこか
終わったら何があるか
こんな風にゴールというか枠があるといいんじゃないかと思います。
「ご褒美でつるのはどうなの?」
はい、そうですよね
鼻先にニンジンぶらさげるみたいな…
そんなのねえ。
でも
10年たったらショパンの幻想即興曲が弾けるかもよ!
と言われてやる気でますか?
それより目先の快楽じゃないのかな
別にいいじゃないですか
練習するなら。
子どもは近景を見る。
遠景を見るのは大人の仕事。
大人のエゴ?
いいえ。
大人の「勤め」
じゃないかと思いますよ。
「子どもの意思を尊重する」が、丸投げになるとき
「子どもの意思を尊重しましょう」
とても聞こえのいい言葉です。
もちろん
意思を尊重するのは大切です。
無視はだめですよ。
でもそれが、
嫌がるからやらせない
本人がやる気になるまで(何もしないで)待つ
という風になると
それは大人側の
「思考停止」
じゃないのかなと感じます。
子どもは迷子になってしまう…。
子どもは、
自分で人生設計ができるほどの
材料も
経験も
まだ持っていません。
あたりまえです。
だから大人が、
感情的にならず
「ここまでやったら終わりだよ」
「次はこうだよ」
と「仕組み」を作っていくのです。
子どもの成長にともなって
仕組みは徐々に自分で作れるようになるでしょう。
最終的に
「自分で仕組みを作れるようになること」
を前提として手助けすることは
過保護ではないし
必要なことだと思います。
舐められない関係とは、縛ることではありません
「舐められない」
そのために必要なのは
怒鳴ることでも、
支配することでもありません。
子どもが安心して動ける「仕組み」を用意すること。
何をしたら
どうなるか
それがきちんと分かっていれば
子どもは安心しますし楽なのです。
毎日子どもを観察して
最適な「仕組み」を調整し続けましょう!
大人は、夢を見て信じてみてもいい
子どもは先が見えない
だから大人が少し先を照らす
安心できると、子どもは動ける
何度もしつこく書いてきていますが(例えばこの記事)
子どものやる気をあてにするのは絶対やめましょうね
常に前向きで
やる気に満ちた
子どもは
いません。
最後にひとつ
結論ではなくて
私の感情的な部分で
お伝えしたいのは
私たちはつい
「この結果を出すためにこの方法が必要」
という風に考えがちです。
この記事もそうですけど…
仕事でも
子育てでも
それが正しいやり方だと教わってきました。
でも最近思うんですけど
結果だけを目指して進んでいると
うまくいかなかったら全て台無し
うまくいったとしても
「やっと終わった…」
という脱力感で終わるというか
マイナスからゼロに戻っただけの感覚というか
結果が出なければ
すべてが無駄。
結果が出ても、
ただの
「問題解決」
どちらにしても
満足や充実感はどうなんだと。
だから
結果とかゴールを目指して行動する
というのではなくて
「今、これがいいとただ信じてやってみる」
そういう覚悟の方が
満足感、充実感を感じられるのではないかなと。
ほんと感情的な話ですけどね
うまくいくかもしれないし
思ったような結果にならないかもしれません。
将来子どもに恨み言のひとつも
言われるかもしれません。
だけどその時は
「ごめんごめん。
信じてやってみたけど、残念!
ここからは自分で考えてがんばりな!」
「私の子どもに生まれたのがあなたの運!
運が悪かったかしら?
でも私は楽しかったわ!」
笑って言ってしまいましょう。
(あかんかな…)
舐められない関係とは
完璧な大人でいることではなく
今を信じて
覚悟を持って毅然としてやってみること。
それが
子育ての責任。
そして
一番のだいご味
なのかもしれません。

















