ピアノ発表会演奏難易度別曲紹介バッハ伝ペッツオールト作曲【メヌエット】その2
ピアノ発表会難易度別曲紹介
繊細な響きが好きな子ども、手が小さくて幅の広い和音が掴めないけど子供っぽい曲はいやな子にもおすすめ
演奏難易度⑥
JSバッハ伝ペッツオールト作曲
メヌエット ト長調
その2です。
前の記事はこちら
ペッツオ―ルト作曲といっておきながら
バッハのことを書きますが
編纂したのはバッハということでお許しを
メヌエットト長調は、なぜ作曲者が間違って伝わってしまったのか
今でこそ
バッハは「音楽の父」といわれて
学校の音楽室に
肖像画が飾られるほどの有名人ですが
生前は
普通の町の音楽家でした。
生まれたのが1685年
日本では江戸時代
「生類憐みの令」
が出された年と同じ。
「いろんなハチ公助かった→生類憐みの令」
という語呂合わせでお馴染みです。
お馴染みではないかしら…。
江戸時代の曲を
みんなが弾いているのって
なかなかすごい事だと思います。
なぜそんなことが可能だったかというと
これは「楽譜」があるからですね。
音を保存する手段がなかった時代
ヨーロッパの人々が
音を封じ込めるための
合理的な方法として
「楽譜」を発明したのは
奇跡だと思います。
忘れられていたバッハ
17世紀のヨーロッパでは
音楽家は芸術家ではなく
職人に近い仕事でした
教会に所属して
毎週日曜日に行われる
ミサのために曲を書いて
その曲を歌う合唱隊の指導をする
そんな職業です。
音楽家が芸術家になるのはもっと先の話です。
だからバッハも周囲の人たちも
脚光を浴びる日がくるとは
考えていなかったのでしょう。
バッハが
1750年に普通の音楽家のまま
亡くなったあと
膨大な作品は
大切に保存されることもなく
(一部の愛好家には演奏されていたものの)
世間に広く普及してはいませんでした。
世の中に
バッハの曲が広く
知られるようになるのは
バッハの死後
50年以上たってからです。
メンデルスゾーンによって
バッハの曲が出版されたそうです。
その約50年の間に
バッハが作曲した大量の曲は
人の手を介して
世界中に楽譜が散らばってしまいした。
それからは今日までずっと
音楽学者によって長い年月かけて
一生懸命収集、整理されてきました。
無くなってしまった楽譜も多いみたいです。
世界中に楽譜が散らばっているので
時々思わぬところから
バッハ作曲の楽譜らしきものが
発見されます。
もちろん
発見されるたびに大ニュースになります。
中にはやっぱり違う人の曲だった
ということも少なくないですが。
2000年代に入り
「結婚カンタータ」
の自筆譜が
ピアニストの原智恵子の
遺品の中から見つかったというニュースを
ご存じの方もいらっしゃるのでは?
どうやら本物だったみたいなので
まだまだ世界のどこかに
バッハの名曲が眠っているかもしれません。
世界中で戦争や災害があった中
どれだけの人の手を
どのように介して
日本にたどり着いたのでしょうね。
原智恵子の人生もドラマチックですが
楽譜が日本に渡ってきたストーリーも
ドラマチックな話です。
世に出たもののバッハの人気はいまひとつ
何十年も忘れられていた
バッハの作品が
メンデルスゾーンによって
世に出たというのは
めでたいことなのですが
だからといって
すぐ世の中に
受け入れられたわけでも
なかったようです。
19世紀バッハの作品は
数学的で法則に縛られた
近寄りがたい存在という扱いだったよう。
偉大で価値があるけれども
一般の聴衆にしてみたら
「わけわからん音楽だ!金返せ!」
とか
「バッハにうつつをぬかしている暇があったら
ロッシーニに改宗しなさい」
とか言われてたようです。
ロッシーニは素敵ですが
それにしても
ひどい言われようですよね。
「良い」「悪い」
ということではなく
「めんどくさい音楽」
ということかな。
バッハの音楽は
人を感動させるために作られたのではなく
神に捧げるために作っていたので
仕方ないのでしょう。
バッハにとっての神との対話は
完璧な数字(宇宙)の存在が欠かせなかったので
ちょっと執拗に感じるくらい
数字にこだわったのは
事実だと思いますけど。
そういう理解は今の私たちが
バッハを聴くときにも
知っていて損はないです。
さて、
せっかく世にでたものの
敷居の高かったバッハの音楽
それを一般的に知られる形にしたのは
チェルニーです。
「チェルニー30番」など
子供の頃練習された皆さんも多いのでは?
私もやりましたよ
好きではなかったけど。
というか嫌いでしたけど…。
チェルニー30番、40番、50番…
「何番まであるねん…」
と思っていました。
バッハの曲に
チェルニーが大幅に曲に手を加えたところ
ようやく
バッハが世に受け入れられました。
もともとバッハの時代には
ピアノがまだなかったので
鍵盤曲は
オルガンやクラヴサンでの演奏のために
作られた曲でした
それを
ピアノで弾くのに適したと(当時)考えられたアレンジで編曲されました。
最近ではこの編曲への評価は
分かれるところですが
バッハの曲を世間に浸透させた功績は大きいと思います。
これ以降、
ベートーベン
シューマン
ブラームス
ワーグナー
などバッハの曲に心酔する人たちが
たくさん出たのですから
「チェルニー、グッジョブ!」です。
ようやく次の回でバッハの曲の特徴についてお話します。
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