体験型音楽プログラム曲紹介 プッチーニ作曲【誰も寝てはならぬ】
体験型音楽プログラム 曲紹介プッチーニ作曲 誰も寝てはならぬ(トゥーランドットより)
ドラマチックな曲のお手本
プッチーニ
誰も寝てはならぬ
フィギアスケートの荒川選手が
金メダルを獲得した曲です
「イナバウワー」
ご記憶の方も多いでしょう
優雅な姿と演技が音楽と調和していて
印象的でした
この曲はオペラ
「トゥーランドット」のアリアです
オペラのあらすじ
舞台は古代中国のとある町
美しいけれど心の冷たいトゥーランドット姫
沢山の男性に求婚されるのですが
結婚したくないと考えていたので
求婚者たちに3つのなぞなぞを出題
(かぐや姫に似ていますね)
なぞなぞが解けないものは
死刑という掟
ある日、
カラフ王子があらわれ姫に一目ぼれ
見事なぞなぞをクリアします
でも姫の本心は結婚したくないので
結婚を拒否します
そこでカラフ王子は
(この時点で名前も身分も明かしていなかったので)
「夜明けまでに私の名前を当てることが出来たら私を死刑にしていいですよ」
という提案をします
「誰も寝てはならぬ」
というアリアはこの場面で王子が歌います
カラフ王子が自分の名前を姫が当てられるかどうか…
よその国の王子ですから
王子の名前を知る人を探す
という意味なのですが
夜明けを待つ場面で歌われます
「ネッスンドルマ―」(誰も寝てはならない)
という静かな旋律ではじまり
王子が姫への愛を歌いあげながら
「ヴィンチェロー(勝利だ!)」
という歌詞を最後に
歌い上げて終わります
イタリア語はリズムが軽快で母音しっかりあるので
日本人に聞きやすく
この歌詞は相当有名です
(イタリア語についてこんな記事も書いています)
そして
パバロッティ氏の歌が有名です
CMなどで耳にされたことがあるかも
もれなく高級品のCMです多分
さすがのイタリア産!
ピザ
パスタ
ランボルギーニ
フェラーリ
グッチ
アルマーニ
レオナルドダヴィンチ
プッチーニ
素晴らしい国ですほんと
プッチーニが他の国に生まれていたら
数々の素晴らしいオペラは誕生していなかったでしょう
アルティジャーノ(職人)なのかもしれません
喜怒哀楽を美しく表現する
作曲職人です
残念ながら「トゥーランドット」が最後のオペラ作品で
完成させることなく亡くなってしまいました
未完の部分はメモを頼りに
弟子が完成させたのですが
(これもエピソードが沢山あります)
初演で指揮者のトスカニーニは
プッチーニが完成した部分までで演奏を止めた
と聞いたことがあります
かっこいい…
ストーリーが非現実的なのはなぜ?
昔から受け継がれてきたエンターテインメント
例えば
オペラ
歌舞伎など
あらすじが奇想天外で非現実的
という共通点があります
なぞなぞが解けないと死刑
解けたのに平気で約束を破る姫
約束破られたのに逆にクイズで挑む王子
などツッコミどころ満載
オペラも歌舞伎も
貴族や町人の娯楽だったので
観客が単純に楽しむことが最優先でした
なので
派手な演出や技巧を見せるための
土台がストーリだったんですね
ですので
ストーリーは単純にというのが
「お約束」
だったのでしょう
復讐劇
恋愛(主に逆境)
忠義と裏切り
親子愛
超自然の登場
などがパターン
途中から見ても大体ストーリは想像できます
「お約束」は文化
そこで必要になってくる大切な要素が
見る側、観客の想像力です
全ての矛盾は
「様式美」
だと理解し
非現実的な展開を当然のものとして受け入れる
ツッコミを入れず感情移入する
誇張された派手な演出や感情表現を堪能する
これらのことが出来る観客だけが
楽しむ資格ありということになります
「お約束」を理解できている人のための
いわば
「大人の楽しみ」
なのです
なぞなぞが解けなかったら死刑
肺結核で死にかけの女性のお肌がつやつや
急いでる弁慶の飛び六方
すべては「お約束」
「だからオペラは難しい」
というのではないです
「お約束」を受け入れるのって
日常化されていますよね
未来の道具が日常に溶け込む
ドラえもんの世界
永遠に変わらない日常と曖昧な時代設定の
サザエさん
「そういう世界なんだ」
と受け入れていますよね
その上で
普遍的なメッセージを見出すということを
子供のころからやってます
何ならお約束を楽しんだりしています
「お約束」が通用しない世界
ハリウッド映画
「マトリクス」
を観た時感じたのですが
「お約束文化」
の対局がハリウッド映画かも
徹底的に設定を説明
非現実的なことをリアルに視覚化
一切の矛盾を許さない論理の構築
むしろ観客の疑問を先回りして解説する周到さ
完璧な「伏線回収」
制作者側は
技術の高度化によって
何でも視覚化出来るようになったのでしょうね
それから
受け手側は
SNSの影響もあって
情報処理が早く
説明されることに慣れているのかな
私も大変便利に使っておりますが
YouTubeもそういう文化に一役かっているのでしょう
YouTubeについて思うところはこちらの記事やこちらの記事
だから悪いということではありません
両方楽しめれば最高です
私は両方好きなのでそう思います
一方だけでは寂しい気はしています
曖昧さ
不確実さ
に対する耐性が低下してしまったり
自分で想像力を働かせる力が弱いのは
ちょっと寂しい…
それらをむしろ
楽しめる方が豊なのかなと
今回の体験型音楽プログラムでは
物語を軸に進行するのですが
同種の子供向けプログラムでありがちな扮装をしません
パネルなども用意していません
多分
子ども達には役柄の扮装をしたり
パネルを準備する方がうけるのだと思いますが
意識的にやっていません
物語は音楽をのせる土台であって
音楽が主役に。
それから
想像力を働かせる余地のある
抽象的な空間にしたいなと
そんな考えでいます